2020年4月28日火曜日

質問13:鶏や牛からの堆肥が無いと作物は育たないと聞きました

日本では、過密な環境で育てられている畜産業からの排泄物は利用されずに環境に大きな負荷を与えているそうです。
日本の畜産業の規模が10分の1に縮小しても、堆肥には困らないほどにあるそうなので、堆肥の心配をするより、畜産業の縮小を目指す方が、将来の日本の為になるでしょう。

2020年4月16日木曜日

質問12: 祈りとベジタリアンの関係は何でしょうか?

ヴェーダの伝統文化では特に、
お祈りの習慣のある生き方には、ベジタリアンであることも含まれています。

なぜかと言うと、答えは簡単。
全ての生き物の幸せを祈っているからです。

人間の体も他の動物と同様、何かの生物を食べて生きるように出来ています。
アヒムサーとは、ヒムサーを最小限にするよう努めることですから、
自ずと必然的に、食べ物の選択は捕食ピラミッドの下方にある植物ベースになります。
1kgの食肉を作るのに数十kgの植物が要るのですから、
少しでも思考能力のある人には簡単に分かることですね。

私の観察ですが、肉を食べている人には、こんなことも分からない、想像できない人が多いようです。。
思考能力に欠けているから肉を食べるのか?肉を食べているから思考能力がブロックされているのか??と思わずにはいられません。。

質問13: 不殺生と言うのなら、行きつくべきところは不食でしょうか?

何が人生のゴールなのか、まずきちんと分別を持つことをお勧めします。

何らかの思想で不食を目指す人を止めはしませんが、
不食を推奨するような無責任なことは私は誰に対しても絶対にしませんね。

ヒムサーを最小限にしたいのですから、ベジタリアンを推奨します。

不食か、肉を食べるか、選択はひとつ、という、
0か100かのような二極端的考えをする人が多いですね、
思慮の足らなさでベジになれない人には。

2016年10月30日日曜日

質問11: ベジタリアンになって栄養失調になった人の話を聞きます。


そのような例がブログで紹介されていたりしますが、
オルトレキシアの良い例のようですね。

オルトレキシアとは、
”極端もしくは過度な先入観によって引き起こされる摂食障害や精神障害”
(Wikipediaより)

世界で何億人という人が、何世代も、肉や魚を食べずに、
健康で楽しく生きている現実を無視して、
ほんの2、3人の極端な例を出して、ベジタリアンを批判するなんて。。。!

ベジタリアンを批判する人は、自分がノンベジを食べていることに罪悪感を持っている人です。

もう少し心に余裕をもって、知的に、人間らしく生きたいですね。

2016年6月20日月曜日

質問10: お肉が食べられないと、人生が楽しくなくなるのでは?

この質問は、面と向かって直接返事をしにくい質問です。


なぜなら、

「動物を殺して、その死骸を食べるのが、あなたの人生の幸せの意味なの?」

「あなたにとって、『楽しい』とは何?」

とは、面と向かって質問者に聞き返しにくいからです。

 


自分にとって、「楽しい」とは何か、考え直す機会にしてみてください。


殺された動物を食べるから、楽しい。

殺された動物を食べなかったら、楽しくない。


このような考えを持っているからこそ出来る質問ですよね?


いやいや、自分は動物を殺すことは良しとはしないけれど、

みんなが食べているから、

自分が生きていくために死ななくてもいい命を殺してでも、
 肉を食べて楽しくならなきゃ!!

という臆病な考えを持ち、それを貫いている臆病な人が多くいますが、

そうでない人もいるのです。



間違ったことや、暴力や殺戮でも、

自分の頭で考えることを麻痺してストップさせて、

「楽し~」 と肉にかぶりつくのが、あなたの人生の価値観なら、

あなた自身があなたを虐げているのです。


今までの固定概念や「みんな一緒」の価値観に、

ちょっとでも「違うな」と感じたら、その瞬間から、自分の選択、自分の人生は変えていけるのです。

それを止めているのは、臆病なあなた自身なのです。

2016年5月18日水曜日

質問9: この先一生の間、肉や魚類を絶対食べない!なんて決心は付きません。どうせ挫折するだけだし。

解答:

世界中のトレンドになりつつある、ミート・フリー・マンデーを試してみては?



こちらもチェック:
ミート・フリー・マンデーの広がりでベジタリアン料理が進化


身体と心の健康にも、
未来の子供たちにも、
環境・動物・植物たちにも
いいことをするのは、HAPPYを増やすことです。
出来るところから始めてみましょう!

Have a happy life!



2016年5月17日火曜日

質問8: 屠殺(とさつ)場や解体するところを見学して、現実に向きあうべきなのでは?


このような記事を見かけるので、、、
いただきます絵本プロジェクト
狩りガール

現実を直視しなければ、と言って、
屠殺(とさつ)場や解体するところを見学して、
残酷で血生臭い光景を見た後で、
何を学びますか?

痛む心を殺して、

「でも、これが人間の生きていく道なのだ!
食肉産業の人達の職がなくなるし、人間にとって都合がいいからね!」

と納得して、

死んでもらった動物さん達に、
「いただきます」と言って命を頂く。

それは正しいことなのでしょうか?

考えてみてください。

広島原爆資料館を見学して、
残酷で血生臭い光景を見た後で、
何を学びますか?

「こういうことは繰り返してはならない」

ですか?

それとも、

「でも、戦争ビジネスは儲かるから、仕方ない!」
「これが人間の生きていく道なのだ!」
「だから、これからもどんどん戦争を続けなきゃね!」

と結論して、それを子供にも教えますか?

「死」や「痛み」に鈍感になるように強要し、

嗜好やお金儲けの為に殺された動物の死骸を

自分の口に押し込むことは、人間として正しいことでしょうか?


上記リンクの、命をいただく絵本は、一見すると道徳的なことを言っているようですが、

他への痛みへの共感をねじ伏せるように勧める、

畜産業者にとって都合の良い消費者教育です。

営利のためなら道徳も歪ませる、戦争ビジネスと同じです。

狩りガールも然りです。


死んでもらった動物さんに、

「いただきます」と気軽に言うけれども、

動物さんに死んでもらわなくても、

充分たんぱく質は摂れるのですよ。

動物さん達を食べることは、

菜食よりも、より多くの植物の命を奪うことになるのですよ。

せっかく頭脳を持って生まれてきたのだから、

ちゃんと使わなければ、もったいない。。。